文学座公演《春疾風》
《イェヌーファ》も千穐楽を無事迎え、少し気持ちの余裕が出来たので先日知人の出演する文学座公演《春疾風》を観てきました。
普段、翻訳劇ばかりに興味をそそられてしまうのですが、それはおそらく、戯曲で扱われている問題意識の「異質さ」に惹かれるからだという事に、観劇後改めて気付きました。
ここで描かれているのは、「よくある家族構成の一家」が「ありふれた(でも軽くはない)問題に翻弄」されて、「少しだけ特殊な状況」に置かれてしまった時に、「誰しもがそうであるように」悩み、苦しみ、向き合うことで解決策を見出そうとする姿です。
ベテランの脚本家によるこの主題の選択を、ベテランの演出家が、時折笑いも誘いながら、決して深刻になり過ぎないよう「優しく」描き出した芝居は、観ていて気持ちの良いものではあったし、幅広い層の共感を呼ぶものではあったと思います。
考えてみれば、《イェヌーファ》も、農村の閉鎖社会の中の少し複雑な家庭のありふれた愛憎劇と言えなくもないですし、現代の「リアリズム演劇」というのはこういう姿になるのでしょうか。
しかし、この芝居が果たして今年の暮に私の記憶の中に、心に穿たれた一筋の傷跡となって残っている予感は残念ながら無い。その事が(飛躍を恐れず言えば)今の日本社会の閉塞感を表しているのかも知れないな、とも思います。