日生劇場《ルサルカ》

日生劇場《ルサルカ》

色々な言語ができることをセールスポイントにしていますが、この秋はチェコ語のオペラにディクション指導兼、副指揮者として携わります。ドヴォルジャークの《ルサルカ》です。

この話はアンデルセンの人魚姫と同様に、人間の王子に恋した水の精の悲恋を扱っていますが、結末は相当に異なっています(下記リンク参照)

オペラ対訳プロジェクト ルサルカ 訳者より

また、音楽的にはワーグナーの影響が強く、冒頭で森の精(3人)とルサルカの父が戯れるような場面があり、完全に《ラインの黄金》のパロディですし、ライトモチーフも人物毎にかなりはっきりと設定されています。大変ロマンティックな音楽ですが、1901年初演と、20世紀に入ってからの作品なのも驚きです。

現在はキャスト毎にディクションを確認しながらの音楽稽古の最中ですが、そんな中、先日演出の宮城聰さんによる演出ワークショップが行われました。

どんな内容になるのか大変興味が有り、音楽スタッフの私も参加してきたのですが、必ずしも演劇的な訓練を受けていないオペラ歌手に、演出コンセプトの話を取り混ぜつつ、絶妙に演技上の基本のキをインストールしていくものでした。

幾つか印象的だった話を箇条書きにすると:

・2500年前のギリシャ演劇と同じことを現代でもやっている、ということに意義がある。役者は観客の方を向いて喋るのが基本。話す間にあまりバタバタと役者を動かすのは好きではない。
・でも、だからといって演技が優しくなるわけではなく、直接見ることの出来ない、横にいる相手との会話が成立しているように見せなければならないのだから、難易度はかえって増す。
・日本人はどうしても「きっかけ」で動いたり喋ったりしてしまう癖がある。「耳の穴をかっぽじって」相手の台詞を聞く、という事が西洋演劇の基本。オペラもそうあるべき。
・台詞には必ずフォーカス(焦点)が必要。例え観客に語りかけるとしても、霧吹きのように拡散してしまっては届かない。ホースの水を飛ばす時、まんべんなく全ての花に行き渡るためにこまめに場所を変えるように、具体的なフォーカスを客席の全てに投げかけるのが技術。
・自分の体は他者と思って向き合う。日常の動作を半分、四分の一の速度と減速していくことで、いかに普段あらゆる動作を無造作に行っているかに気付く。それを意識して再現するためには、身体の各パーツの歯車のかみ合わせをきちんと認識しないとならない。
・舞台上の存在感とは、セット、道具、人物など様々な要素のどれだけと関係性を結べるかにかかっている。より多くの「もの」を意識できるほど、存在感は増す。
・自分の喋る台詞が、あたかも世界で初めて生み出された新たな概念のように響くほど、舞台上の空間は活性化する。喋る直前までその台詞のことを出来る限り考えない。

音楽によって、時間の流れがある程度規定されているオペラという媒体においては、言葉(歌詞)をきっかけでなくその場その場で生み出すように歌う、というのは非常に難しいのですが、チェコ語という、ほぼ全ての歌手にとって未知の言語である事が逆にプラスに働くかもしれない・・・などと考えながら、これからの稽古を進めていく指針にしていこうと思います。